藁谷実 個展 ー日本の山川草木を描くースケッチのちょっとした話 |
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月山旅と読書は私の創作意欲を高める。学生の頃、森敦の「月山」を読んで行ってみたくなり、友人と3人で出かけた。その時の羽黒山五重塔などのスケッチが数枚残っている。昨年の5月に再び5日間の日程で月山を訪れた。朝4時過ぎに車で出発し、7時間ほど走ると羽黒山の麓に着いた。まずは予約した宿、山伏修験の里にある多聞館を確認した。もとは宿坊だったとのことで精進料理の食文化を伝えている。 初日は月山ビジターセンターへ行き情報収集を行った。十王峠から見る月山、羽黒地区大鳥居から見る月山など、スケッチポイントをざっくりと頭に入れ、最終的には車や足で探しながら4日間のスケッチを終えた。5日目の最終日は羽黒山の出羽神社(三神合祭殿)まで1時間ほど階段を登り、神社を取り囲む黒々とした大きな杉に魅せられたが、疲れ果てたのと長い帰路を思い浮かべて描かずに階段を降りた。 「天照大神」の弟「月読命」が祀られる残雪の月山の美しさと雪解け水の豊かさとが心に残る。 「月山」 大和三山天香山、耳成山、畝傍山を描くために原っぱとなった藤原宮跡に立った時、平山郁夫先生の「高耀る藤原京の大殿」に描かれた幻想的で金色に輝く都と、それを囲む大和三山を思い浮かべた。先生がその絵を制作したのは39歳の若さであり、制作年の1969年といえば、ベトナム戦争が続くアメリカで、ウッドストック・フェスティバルが開催された年として私的に記憶している。そんな世界の状況の中、若くして自国の文化に誇りを持つという日本画家としての方針を貫かれていたことに今更ながら驚き、尊敬が深まる。「天の香具山」 「耳成山」 「畝傍山」 乙字ヶ滝滝の近くにある案内板に「芭蕉と曽良が1689年須賀川の相楽等躬宅に7日間滞在後陽暦6月16日の10時ごろ出発し、乙字ヶ滝へ向かった。」と書かれてある。句碑に「五月雨の滝降りうづむ水かさ哉」とある。奥の細道の旅を続ける途中でのことだ。私が乙字ヶ滝をスケッチしたのは、6月11日と近い日付だったが、芭蕉たちが見た時は水量がもっと多かったようだ。阿武隈川唯一の滝で、江戸時代の船便にとって最大の難所だった。高低差は少ないものの石英安山岩質凝灰岩の断層で滝となったことから、水と黒い岩肌の対比が美しく日本の滝100選に選ばれている。 「乙字ヶ滝」 妙義山この巌の塊のような特徴ある山は、かつての火山活動や雨による侵食などの自然現象によって作られ、その存在感からか霊山として崇拝されてきた。車で2~3時間で行けるので1度目は初夏に日帰りスケッチに出かけ、晩秋に再び1泊2日で同じ場所を描いた。妙義ふるさと美術館の上に展望スペースがあり、スケッチをしても良いとのことなので、そこで描いた。夕方になり、山から離れて妙義町の小学校近くへ移動すると、妙義山がだんだんと青く霞んで、辺りの古民家から夕飯の支度なのか、白い煙がかすかにたなびき郷愁を誘う景色は美しく、画用紙を広げ、手に鉛筆を持ったものの感じ入るばかりだった。 「妙義山」 金剛山自然と神と人間との関わりを調べようと何冊か本を読んでゆくと、必ずと言って良いほど役行者が伝説を纏って登場する。白州正子著「隠れ里」の本文にある日月山水図を所蔵する金剛寺の拝観も予定して富田林の宿に4泊した。5月の連休に出かけたので富田林まで車で8時間半もかかった。役行者が修行したと言われる金剛山を晴天の日にスケッチした。あまり高くはないがどっしりとした力感を感じる古代から変わらない神の山だ。 翌日は一日中雨が降り、葛城古道を行ったり来たりしながら雨雲に見え隠れする金剛山、葛城山を見て感動していた。翌日、高鴨神社あたりから、雨がやんですっかり見えるようになった金剛山をスケッチした。 「雲中金剛山」 那須岳3月下旬、北塩原村は雪景色。真っ白な桧原湖から裏磐梯を望むスケッチの後に、那須方面へ移動して道端から那須岳をスケッチ。ここまで降りると、あたりには雪がない。茶臼岳は火口から水蒸気と火山ガスを噴出する活火山だ。自然は計り知れない力を持っていて、ある程度科学的にわかってくるまで、人々は祈るほかなかったと思う。今だに地球の内核では数千度という太陽の表面と同等の高温を保っているなどと説明されても不思議でならない。那須岳をスケッチしていると、院展のO先生のお知り合いという男性が覗き込んで声をかけてきた。 「早春の那須岳」 裏磐梯再び北塩原村を訪れた。晩秋の桧原湖や五色沼にて落ち葉を踏みしめながら散策すると、また来てみたいと思う。中瀬沼展望台から見る晩秋の裏磐梯は絶景だ。手前に水をたたえ、ひんやりと澄んだ空気に冬を待つ気配が感じられた。水蒸気爆発で削られた独特の山容を示す磐梯山は、「磐の梯子の神」や「作神」として崇められ、農民は豊作を祈る。この風景を大作にも描いてみたいと思う。「大気清澄」 三輪山三輪山は美しく形の整ったカムナビと言われる聖山だ。日本最古の神社である大神神社があり山そのものが御神体だという。私にとって、古事記は奇想天外に感じてこれまで親しんで来なかった。しかし、三輪山と出雲大社の関係のように古事記の内容が現在までも続いていることに驚く。万葉集にも三輪山を詠んだ歌が多く収められているが、図書館で全集の前に立つと膨大な量に呆然とする。開いても現代との言葉遣いや感覚の違いから理解に時間がかかる。しかし、古代の人々の想像力を借りると、自然の風景に物語が付加され、山一つにも魅力が深まる。 一見単純な形だが、一日目は畝傍山を描いた後に三輪山へ回ったため、立ち位置を決めるのに時間がかかり、ざっくりと当たりをつけたところで日が暮れてきた。翌日に続きを3時間ほどかけて描いた。 スケッチの時間は苦心する中にもモチーフと対峙している静かな感動がある。絵を描く楽しみは完成作品を作るだけでなく、制作を前提として歩き、見て、考える一連の行為の中に充実感が伴うことにあると思う。 「三輪山」 藁谷 実 ◇略歴 |